HIV薬害問題
1981年に米国で、血液製剤でエイズになると警告が発せられているこの時に、輸入血液製剤をやめていれば、400人の命は救われ、2000人は不治の病に罹らずにすんだと言われている。
1983年ミドリ十字が買収した米国アルファ社の社長から非加熱製剤は、危険だといわれるが、無視する。
厚生省はこの事をしらないといっているが、当時のミドリ十字の社長は厚生省からの天下りです。
アメリカから別の業者が、加熱製剤を売り込みにきていたが、厚生省はミドリ十字に配慮してこれを無視した。
それと同時に、アメリカの別の業者は、国内での非加熱製剤を自主回収していました。
世間では、同性愛者とか、保菌者と性交すると感染するとかに目を向けさせ、血友病=エイズとさせないように、厚生省が情報操作したと示唆されています。
阿部英氏は、エイズの抗体検査で陽性とでてもエイズではない、というアメリカのエイズの権威の医師が診断してエイズといっても違うと言っていたそうです。
アメリカから遅れること2年半、ようやく加熱製剤が認可されました。
これで、非加熱製剤が禁止されるかとおもいますが、ところが、在庫の非加熱製剤を全てうりつくしたそうです。
1989年東京、大阪で薬害HIV訴訟が始ります。このころから、マスコミもこの事を取り上げるようになりました。
1996年、自社さ、連立政権に新党さきがけが、加わる条件として「薬害HIV問題に真剣に」取り組むという事を条件に連立に参加、管直人厚生大臣が、患者とその家族に謝罪、厚生省に対しては、全ての資料を出させ政治決着をつけたのは、周知のことだとおもいます。